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冬こそ野球をすべし

私はプレイヤーとして、20年近く野球道を極める為に、血の滲む様な努力をしてきました。

あらゆる指導者と出会い、あらゆる仲間と出会い、あらゆる経験を経て、一つの答えに辿り着いた日から、野球界で、今まで常識とされていた事が、実は全く正反対なぐらいのレベルで非常識な事であった。という事が、技術的な事にしても、考え方・メンタルの持ち方にしても、指導方法にしても、ケアリングの部分にしても多々ある事に気づきました。

冬(オフシーズン)は寒いから怪我をする可能性が高いから野球はしなくていい。
冬は、ひたすら走り込み、走り込み、下半身をイジメ抜く!そしてウエイトトレーニングをやって、来るべきシーズンに向けて体力をつける為の期間だ。

という考え方もしかりです。

下半身を作り、体力的なレベルアップをはかる期間というのには異論はないのですが、野球をしなくていいというのは、大きな間違えです。

これはプロ野球選手であっても、ほんの一握りの超一流選手のオフの過ごし方です。

それ以外!プロでくすぶっている選手、プロという土俵に上がれていないアマチュアの選手、そしてほとんどの野球少年!

周りからアイツは別格やな!絶対プロに行くやろうな。って言われいる選手以外!

ここらに該当する選手はおそらく、根本的な野球技術の考え方(理論)、が間違えています。

一人一人見なくても、結果が全て答えを出しているのでわかります。

はっきり言います、ここに該当する選手が、チームのレギュラーになり、主力になり、甲子園に行き、プロ野球に入り活躍するには、一皮むけた、二皮むけたのレベルの成長では、ライバル達に大きな差をつけて、ドラフト候補に名前が挙がるところまでは到底いけません。

冬にいくら走って下半身を作っても、トレーニングで体を作っても、今ある未熟な技術に毛を生やした所で、さあ春が来て、キャンプ、オープン戦、少年野球なら練習試合が始まって行くでしょう。

さあそこでどうですか?

となった時に、おそらく結果は出ないでしょう。むしろ軽度のブランクで前のシーズンより悪くなっているケースもあるんではないですかね…

こんな事を繰り返えしていては進歩はありません。

今くすぶっている選手は、成長ではなく変化が必要なんです!

しかし変わる事は容易な事ではありません!

そこには、今までの自分自身の常識が通用しないからです。

もちろん変わろうと努力すれば、すぐには結果はでません。

完成されてない状態で結果を残すのは難しいからです。

そこで諦め、目先の結果欲しさに元に戻すのか、自分を信じて突き進むのかでそこから先の野球人生が大きく変わってきます。

しかし壁を越えて、もし変わる事が出来たなら、確実に世界は変わります。

私からのアドバイスは、変わりたければ、冬に死ぬほど野球の練習をしなさい!!
です!

冬は試合は無いから、目先の結果にとらわれずに済みます。

オフシーズンはそういった意味でも、化けるのに好都合なシーズンなんです。

何故ここまで言えるのかと言うと、私が全て身を持って体験したからです。

オフシーズンはある意味一旦全てをバラバラにして一から作り直す事にチャレンジできる期間であり、怪我を恐れず、オーバーワークも出来る期間でもあります。

ウエイトトレーニングであっても、シーズン中ならば、筋力をキープさせる事が目的で、試合に筋肉の張りを残せないので、一週での回数も限られて来るし、トレーニングメニューも、重めの重りで回数少なめなど、気を使ってやらないといけないんですが、オフシーズンは思いっきりやれます!

張りが残った状態でどの程度プレー出来るかもオフシーズンは試せます。シーズン中にどうしても連戦が続くと、疲れが溜まって、体が張ってきますからね。

冬に試しておけば、そんな時も対応できます。

全てをバラバラにして、一から作り直して、実戦で使える様になるまでには時間がかかります、根気もいるし、己との戦いになってきます。

自分のものにするまでは、昨日出来たのに今日は出来ない、練習で出来たのに実戦では出来ない、この繰り返しです。

そんなもがき苦しみの中で、あらゆる気づきが生まれ、自分の物になって行くんです。

一度一つの答えにたどり着き、自分のものにしてしまえば、コンスタントに結果を残せる選手になります。




ここからは私の経験を一つの例に出して書きます。



私は大学卒業後、一年目から徳島のチームで活躍し、リーグベストナインに選ばれ、独立選抜のクリンナップも任されていました。




翌々年の25才の時に、徳島から分配ドラフト一位で福岡の球団に移籍し、チームの方針で3番を任される事になり、長距離砲だった私が、とにかくヒットでもいいからら塁に出る事が自分の仕事だと感じ、当時のコーチと親交が深かった、多村さん(現横浜)や中嶋さん(アスレチックス)のバッティング練習をビデオに撮ってきてもらい、何度も何度も見て、ヒットを打つ打ち方を研究して、オフシーズンにひたすら練習しました。

自分の打撃ホームをビデオに撮って、多村さんと見比べて、の繰り返しでした。
練習の成果がでたのか、そのシーズンは首位打者とベストナインのタイトルを獲得し、ドラフト候補にも名前が挙がりました。



しかし惜しくもプロ入りはなりませんでした。

しかし翌年、昨年の実績もあり、スカウトも見にくる様になりました。

私は翌年、コーチに今シーズンは4番を任すから長打も頼むぞと言われ、昨年よりバットを強く振るようにしました。
この安易な発想が間違えの始まりだったんですけどね…

せっかく作りあげた打ち方を崩してしまい、自分を見失ってしまいました。
昨年首位打者を取ったバッターがですよ!?プロに行くチャンスだったシーズンが、不本意な結果のシーズンになっていました…
本当にこの時は野球は怖いと思ったし簡単じゃない、と痛感させられましたね。

そしてその後、災い転じて福と成す!ではないですが、この後の人生の展開が、自分に取って素晴らしい出合いをもたらせてくれました。

シーズン終盤に不本意だった私を是非うちに来て欲しいと、愛媛の監督に言って頂いて、シーズン残り10試合残して福岡から愛媛に電撃トレードをしました。
残り数試合を残してトレードするのはリーグでも異例の事でしたが、この時期の異例のトレードが私に取っては素晴らしいタイミングだったのです。

福岡から引っ越しや、挨拶まわりや、何やかんやで数日野球が出来ない日が続き、門司港からフェリーに車を乗せ愛媛へ出発しました。
早朝5字に到着して、眼をこすりながら、港から寮へ向かい、到着してから、部屋に荷物を入れたり何やかんやで今日は1日終わるかなと思いきや、マネージャーから電話が「今日香川オリーブスタジアムであるナイターゲーム帯同してもらうけんな」「あっはい了解しました!」いきなりついて行くんか…
と思いながら、昼前に愛媛球団専用バスで香川に出発!
昼過ぎに球場について、試合前練習するんですが、何故か俺のユニフォームが出来てる…

まさかいきなりベンチ入るん!?最近野球しとらんばい俺(;´д`)

そして6時にナイターゲームはプレイボール!

気付いたら俺試合出とるやないか!?

何日も野球してなくて引っ越した日にスタメンて(;´д`)

野球は甘くないですね。

結果は4打席連続三振…

後にも先にもこの時だけかな(..)

バットに当たる気しなかったからね…

そして愛媛の環境にもなれて来て、残り10試合はそこそこ持ち直して活躍して、最終戦なんかは坊っちゃんスタジアムで10000人近くのファンに応援されて、愛媛のファン
は凄いなと思いながらシーズン終了。



まあここまではまあどーでもいい話。

ここからが私が覚醒出来た、ストーリーが始まります。


愛媛の監督とコーチが西(私)を完全復活させるけんの!と言ってくれ、秋から毎日の猛練習が始まったのです。

今思えば、異例のトレードを思い切り行動に移した事で、私の野球人生を変える、素晴らしい秋季そして、冬季練習をやれたんです。野球の神様がくれた、タイミングだと思いますね。

特にコーチの斎藤さん(元広島カープ)との出合いは自分の野球の概念を大きく変えてくれました。

私は首位打者を取った時も、実は、この打法では、プロで通用しないと薄々感じていました。
だから翌年変えようとして、崩壊してしまったんですけどね。

原因は、私はその時どう変える事が、どういう結果をもたらすのかがわからなかったんです。

また正解に導いてくれるコーチも監督も福岡にはいなかった。

それ以前に私は、自分自身のバッティングにこだわりとプライドがあったから、一切周りの意見を取り入れようとしなかったんです…

しかし斎藤さんは、私を復活させると言ってくれました。

斎藤さんは、広島カープの4番も打っていた素晴らしい打者で、自分も一度は終わりかけた野球人生やし、このままの打法ではプロでは通用しないとわかっていたから、生まれて初めて、全てを聞き入れて、素直にチャレンジしてみよう。この人について行ってみようと思ったんです。

そして最初は、斎藤さんが、全く何をさせたいのか、何を言っているのか分かりませんでした。私が今まで常識と思っていた事が常識ではなかったから、それを取り払うのは大変な事でした。
時にはぶつかり、時には自問自答し、の繰り返しでしたが、昔の私と違ったのは、投げ出して、自分の形に戻してしまう事はせず、斎藤さんの言っている事、伝えたいことを理解しようと必死でした。



猛練習は、オフシーズンの秋から始まりました。
毎朝一番にグランドに出てきて、ひたすらティー打撃、そして全体練習で、午前中は死ぬほど走らされ、午後はバッティングと守備とトレーニング、そして全体練習が終わってからも、日が暮れるまでロングティーとティー打撃の繰り返し。



暗くなってから、一旦寮へ帰り、そこからトレーニングジムへ。ガンガンウエイトトレーニングをやった後は、また別のジムへ(初動負荷イチロー選手が取り入れている柔軟性を高めるトレーニング)それからやっと、行きつけの定食屋に行ってたらふく食べて、寮へ帰り寝る。という生活を毎日送っていました。

超ハードで大丈夫と?心配されましたが、私は、うっすらではありましたが、一つの答えが見えて来ているのを感じていたから、毎日が苦痛どころか、楽しくてしょうがありませんでした。毎日が充実していました。
もし、このうっすら見えて来たものを自分のものにする事が出来たら、確実にプロでも通用するし、トップクラスになれる!という自分の中での確信があったからです。



斎藤さんは一体何を教えたのだろうか?と気になるでしょうけど、斎藤さんが言い続けたのはたった一つの事なんですよ。
終始その事だけを言っていましたね。

斎藤さんは、私に手取り足取り教えてくれた訳ではなく、私の常識を取り払うキッカケをくれたんです。

後は今までの私の野球人生で生まれた何故?を全て解決し、私なりに技術を確立して行ったのです。

中日ドラゴンズのスカウトが何故「お前はまだバットを振ってるからダメなんだ!うちの井端、荒木はバットは振っていないよ!だから小さい、細い体でも藤川の球を打ち返す事が出来るんだよ」と言っていた意味が、城島さんがでんでん太鼓の様に打つんよと言っていた意味が、引っ張ったファールがあんなに飛ぶ理由が、逆方向にホームランが出にくかったわけが、全て頭で理解出来る様になり、その答えが、全て私の技術として、取り入れられました。

このスイングが出来るからこのタイミングの取り方が出来る、このタイミングの取り方が出来るから、こんなボールも打てるという感じで打撃が完成していきました。

それでも春先のオープン戦初戦には、力が入ってしまい、練習で出来ていたモノが出せなかったんですよ…
まだ体に染み込んでなかったんでしょう…

あれだけやって、バッティング練習でも出来るまでに精度を上げていたのに、実戦じゃ全く出来なかった…

正直ショックでしたね…



しかし結果的に私は、この壁も打ち破る事が出来たのですが、そのキッカケは意外なモノでした。

普通は練習を、より実戦に近づけて、常に実戦の気持ちで取り組む事で、実戦でも出来る様になりました。

と言うのが常識、普通な考えですよね。

私は逆だったんですよ。

試合を練習と思って打席に立ったんです。

試合では私は、ピッチャーを睨み付けて打席に立つような感じでしたが、逆にピッチャーを見てニコッと笑ってみたんですよ。

いつもの練習でバッティングピッチャーをしてくれる後輩に笑うみたいにね。

練習では軽く打って10球打ったら9球は柵超え出来るんですけど、その打席でも、その練習の感覚で打ってみたんですよ。
軽く振って、芯は外してしまいましたが、センターの一番深いところまで打球が飛んだんですよ!結果はセンターフライだったんですけどね。

何とも言えない感覚でしたね。

バカ真面目に100%ないし120%の力を使っていた今までの野球はなんだったんだろうと思いましたね。

感覚で言えば、50%も力を出してない感覚でしたね。

試合でも、たったこれだけしか力を出さなくていいのか!!と思いました。

試合で力を抜くと言うのはある意味とても勇気がいる事です。真面目な選手なら尚更です。自分も最初は1打席捨てるつもりで試してみました。
しかしその1打席が、ただのセンターフライが、私を常識を打ち破り、今後の野球人生を大きく変えるターニングポイントになったのです。

やはり勘違いしてはいけないのは、フルスイングとオーバースイングの違いです、
フルスイングは言わばベストスイングという意味で、それ以上振る事は、ただのオーバースイングだと言う事です。

今までは、オーバースイングをする事で、自分のベストを尽くした、悔いはないと、自己満足させていただけだったんですね…

大きな間違いでした。

こんな簡単な間違えを長年やっていた事が分かった時、愚かだったなと思いますが、今野球をしているほとんどの選手がこの簡単な間違えに気付いてないんですよ。実際それが現状ですね。

そして私は、この1打席で、自分がやって来た方向性は間違えてなかった、イケると確信しました。

そしてシーズンは開幕しました。

徳島での開幕戦!徳島のエースに返り咲いた福岡の時のチームメイトの角さんとの対戦!


徳島炎のエース 角野雅俊


開幕1戦目の初回、1打席目のファーストストライクを桜満開の左中間スタンド場外へ飛び出す、いきなりのホームランを放ち、フルモデルチェンジをした私に球場は度肝を抜かれてましたね。



地元開幕戦でも1打席目に肩口から入ってくるカーブを反応して、レフトスタンド場外へ飛び出すホームラン!



開幕3試合で2ホーマー。最高のスタートを切る事が出来ました。




そして開幕4戦目のデイゲームの試合前練習を終えて着替えている時、ある球団関係者からの電話。「今年のドラフトで取るから、怪我ないようにシーズン送ってくれ」という内容!正直天にも昇る気分でしたね。

それからも、実戦を重ねるにつれ、更に技術は研ぎ澄まされ、後期45試合に関しては、4割以上の成績を残しました。

シーズンは終了し、本塁打王、打点王、打率リーグ3位、後期MVP、月間MVP、チーム年間MVP、ベストナインとタイトルを総なめにする事が出来ました。

しかし、独立でやらかした、乱闘、退場、暴言の方も総なめにしてしまったのも災いして…まあそれはさておき、本当は残念ながら野球界にも存在する最低な人間の犠牲となり、ドラフトにかかる事はなくなってしまいました。

しかし、一回野球を辞めようか、とまで思った私が、野球の常識に反して、冬に死ぬ程野球の練習をし、バットは振るものだという固定観念も取っ払い、試合は全力で行くという常識も取っ払い、一つの答えを見つける事が出来ました。

今思えば、プロの打撃ホーム、自分の打撃ホームを何度も何度も見て研究していた自分がいかに浅はかで愚かだったかが分かります。

形から入る事に何の意味もないんです。形は一つの結果なんです。

本質はその奥に隠れている。

形の奥に隠れている本質に気付けて、それを自分のものに出来るかが、一番重要な事なんです。


私が答えにたどり着いたストーリーは長くそして険しいモノでした。もう少し早く気づいていれば今は…とも思いますが、この答えにたどり着けず、野球を辞めて行く人間が9割9分です。

運良くプロにいった人間でも辿り着けなかった選手は大勢います。

私は結局夢であったプロの世界には行けませんでした。
しかし、この技術の答えにたどり着けた事は、遠回りは強いられましたが、運もあったと思うし、頑張って来た事が報われたんだと思います。

走・攻・守、全てにおいて私は答えを見つけました。

欲を言うと、プロの世界で、私の理論、私のプレーに対して、一流の監督、コーチ、先輩方がどんなアドバイスをしてくれるのか、私のプレーの何処を指摘してくれるのか、それが楽しみでしょうがありませんでした。

秋に宮崎である2軍中心の宮崎フェニックスリーグに独立選抜も参加しますが、20試合ぐらい4番で出場しましたが、そこでも、5割以上打ちました。



中田や陽や角中や今一軍でバリバリ活躍している選手もいましたが正直負ける気がしなかったですね。二軍と一軍のトップクラスはかなりの差がありますからね。

だから余計に一軍の最高峰でプレーをしてみたかった…

私自身が、プロの超一流選手と肩を並べてプレーする事で、自分が見た事も感じた事のない領域を見せてくれる選手がいるのか?私が考えた事もないような深い内容のアドバイスをくれるコーチがいるのか。
それともプロもこんなものか、言ってる事もやってる事も同じ野球ですね…と簡単に通用してしまうのか、これが身をもって試せなかったのが本当に残念でしたね。

後者ならプロに行ったとしても少しがっかりかなとは思いますけどね…

色々なプロの人間と話しをしますが、残念ながら私の知らない未開の領域はまだ無いようですね…

逆に言うと、あーそんな考え方でイケてるん!?って感じな天才が多いですね。

私は最初は誰よりも不器用で下手くそでしたが、誰よりも野球の事を考え、誰よりも努力しました。

野球を過酷なはヒマラヤ登山に例えると、麓から頂上へ登るプロセスを私は知っています。

しかも私は今プロで活躍している選手と違って、誰よりも不器用で下手くそだったので、ロープウェイもヘリコプターも使わず、一歩一歩地道に自分の足で登っていきました。
プロセスを知っている私は、プレイヤーより教える事の方が向いてるかもしれないですね。

人それぞれ一つの答えに辿り着くストーリーは様々だと思いますが、私は27歳の時にその壁にチャレンジして、やっとものに出来ました。あと2歳若ければすぐにでも捕りたかった!と何球団のスカウトに言われた事か…悔しいですよね。

その点、うちの子供達は小学生・中学生からこの技術にチャレンジしています。
ものにするのは容易い事ではないのでみんな一生懸命掴もうともがいていますが、私が同じぐらいの年の頃はとにかく強く早く振る事ぐらいしか考えてなく、バットを振ってましたから、今のうちの子供達がうらやましくも思えます。

私は練習の最後に質問は?とあえて聞くようにしています。一方的に教えられてそれをやるだけでは成長はないからです。自分で考えれば、考える程クエスチョンはでてくるはずですからね。
今までは誰も質問してくる事がなかったんですが、今日の練習では、最後6人ぐらい質問してきたんですよ!
しかも質問の内容がレベルが高いんですよ!嬉しかったですね!
子供達が野球に真剣に向き合い、考え出した証拠ですね!
この年でこの意識で野球をしていたらみんなの将来は末恐ろしいですね(^з^)-☆

まあ私なんかは軽く越えて行ってもらわないと困るんですけどね(*^^*)

長々と失礼しました…

話し紆余曲折しすぎやし(;´д`)

結論は題名の通りです。

ストレッチ・ケアは入念にね(*^^*)

ではまた。

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塾長プロフィール

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西村 悟(にしむら さとる、1983年6月8日)は、福岡県古賀市出身の元プロ野球選手(外野手)。血液型はA型。
阪神タイガースに所属する西村憲(投手)は実弟。憲が野球を始めたのは悟の影響であると述べている。

東福岡高時代は、2001年の春のセンバツでベスト8の結果を残す。その後、東海大学に進学。
大学卒業後、2006年に四国アイランドリーグ(現:四国アイランドリーグplus)の徳島インディゴソックスに入団。同年は、ベストナインに選出された。
2007年11月1日、福岡レッドワーブラーズと長崎セインツの新規参入による分配ドラフトで福岡への移籍が決定。12月1日付けで移籍した。
移籍1年目の2008年は、首位打者のタイトルを獲得し、ベストナインにも選出された。
2009年9月11日、愛媛マンダリンパイレーツに移籍。
2010年のシーズンは本塁打・打点の2冠を獲得した。シーズン終了後、自身の申し出により退団。

wikipediaより

悟塾公式ホームページ
http://satorujuku.jp

入塾申し込み・お問い合わせ
http://satorujuku.jp/contact

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