何より大切なもの④ 仲間

私の考え、人格を変えた出来事は何かというと、

私は高校の野球部の仲間を2人も失いました…

二人とも毎日私がグランドの外でバカをしているのを見てニコニコ笑っているようなとてもとてもいい奴でした…

家でも両親に「西村っていう面白い奴がおってね、今日もこんなバカな事しよったんばい!」とか色々な話をしてくれていたらしいです。

本当に優しくていい奴でした。

その仲間は白血病で亡くなりました。

頑張り屋でいつも頑張っていた彼が、体調が悪いからといって練習に出て来る回数が少くなり、全く来なくなったと思ったら入院していました…

今まで一緒に頑張っていた仲間が練習に来なくなるというのは何とも言えない寂しいものでした…

それは、私達2年生が秋に新チームになったぐらいの頃の話です。

その時期に私達は練習が終わってから、そのまま病院にお見舞いに行っていました。

しんどかっただろうに私達の前では辛そうな顔は見せず、少しだけ笑顔を見せてくれました。

自分の事よりお見舞いに来てくれた仲間を心配させまいと気を使ってくれるような優しい奴でした。


そして私達は、新チームで秋の大会に臨みました。

入院している仲間が白血病と生死を掛けた戦いをしているという現実が、

私達の心の甘えの部分を全てなくし、

私達はあいつの分まで戦う!という気持で1つになり、チームが一致団結しました。


一戦一戦戦う度に、チーム力が驚く程上がって行き、福岡3位で九州大会に出場した私達が、逆転、サヨナラなど快進撃を続け、

九州大会優勝、それから明治神宮大会まで優勝して、日本一にまでなりました。

そして、センバツ甲子園のキップを確実なものにしました。

凱旋してみんなで病院に行くと、仲間は無菌室という所に入れられ、面会すら出来なくなっていました。

そして年が明け、みんなで甲子園行く事を目標に頑張っていた私達ですが、

無念ですが、私達のかけがえのない仲間は「俺は天国からみんなの背中を押すから」と、お先に天国に旅立って行きました…

もう1人の仲間は大学の時にバイク事故で旅立ちました。

この仲間も優しくていい奴でした…


野球をしたくても出来なかった仲間、生きたくても生きれなかった仲間…

天国にいった仲間達の分も私達は懸命に生きていかないといけないし、あいつらに恥ずかしい生き方をみせる事は絶対に出来ません。

私と同級の野球部の仲間は全員がそう思って生きています。

だから皆それぞれの道で道を踏み外す事なく必死に頑張って生きています。

今でも天国にいる仲間には私たちは背中を押されているんです。

傲慢な考え方、贅沢な心の芽生え、感謝の心を失いそうになったらいつも思うんです。

天国の仲間にこんな姿は見せられないと。

人に忘れられた時が本当に死んだ時と言われるなら、あいつらは死んでいません。

私達の中で生き続けています。

もちろん今でも仲間です。

そしてこれからも。


私が生きて来た中でこんな無念な事があったから

私は思うんです。

今、五体満足で生きている事。

野球が出来ている事。

これは当たり前な事ではなく、感謝すべき事なんだよと…




続く…

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塾長プロフィール

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西村 悟(にしむら さとる、1983年6月8日)は、福岡県古賀市出身の元プロ野球選手(外野手)。血液型はA型。
阪神タイガースに所属する西村憲(投手)は実弟。憲が野球を始めたのは悟の影響であると述べている。

東福岡高時代は、2001年の春のセンバツでベスト8の結果を残す。その後、東海大学に進学。
大学卒業後、2006年に四国アイランドリーグ(現:四国アイランドリーグplus)の徳島インディゴソックスに入団。同年は、ベストナインに選出された。
2007年11月1日、福岡レッドワーブラーズと長崎セインツの新規参入による分配ドラフトで福岡への移籍が決定。12月1日付けで移籍した。
移籍1年目の2008年は、首位打者のタイトルを獲得し、ベストナインにも選出された。
2009年9月11日、愛媛マンダリンパイレーツに移籍。
2010年のシーズンは本塁打・打点の2冠を獲得した。シーズン終了後、自身の申し出により退団。

wikipediaより

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